人はどうして集うのか?
組織は人がより何かを体現する為に必要だから(もしくは実現の為に楽だから)作られる。それが社会であり、最大のものが国家と云うことになるのだろう。
大きくなってしまえば、自然だったり風土だったりと言う項目が重要になってくるが、小さいものではやはり人だと思うし、組織の黎明期ならなおの事。
その組織は人によって構成されている。人はもそこにいる人と人が体現しようとしているものに魅かれて集う。だからその組織に誰がいたかはとても重要な事だと思う。誰がいたかは関係なく、組織がいいなんてのは詭弁で、人が悪ければ会社だって倒れる。良い組織は構成する人の凸凹を吸収する。そして凸凹があるが故に組織は柔軟性を維持する。
草若師匠に人々は集った。草若師匠と云う人の体現する落語に人々は集った。
そして一門が形作られていく。不器用な若狭がいて、志の高い草々がいて、まとめ役の草原がいて、暴れん坊の四草がいる。押しつぶされそうな小草若をこの凸凹が吸収していくはずだ。それが一門の柔軟性。
人として生きる限り、人こそが重要で組織が重要ではない。組織は方便なのだから。
徒然亭が重要なのではなくて、徒然亭草若が重要で、それを守り継承していくのが徒然亭。
草若師匠は逝ってしまったが、その体現するものが継がれて行くかぎり、徒然亭と云う一門は残っていく。草若師匠の落語を直接継いで行くのが(草若と云う名前を)草々だろうと子草若だろうと若狭だろうと。体現する人に人は集う。
「ちりとてちん」はそこまで描いてくれている。近年になく良い本です。
なんて事も、「ちりとてちん」観ながら考えているこの頃です。
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