観劇「朱夏」
今東京の新国立で私のモダンダンスの師匠の公演「朱夏」が終わったところです。体を鍛えコントロールする事の美しいこと。
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以前オペラの舞台を作ったときに所作と殺陣の指導で入られていた車扇先生。私は殺陣の指導を受け、舞台に立った。
宗家となられ立花流五十周年記念公演を本日、国立劇場で披かれた。
常磐津、長唄、殺陣…
いつもは観られない物を観た。刺激になった。歌舞伎系の舞台は本当に何でもあり。見習わなければ。
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横浜能楽堂特別企画公演「武家の狂言町衆の狂言」東京公演国立能楽堂十八時半開演
平成二十年度文化庁芸術祭優秀賞受賞(演劇部門関西参加公演の分)
昨年十月に京都公演、今日東京公演、来月横浜公演と続くシリーズ。
東京の山本家が武家の狂言を、京都の茂山家が町衆の狂言を伝えている。その両家各々演目が、山本家「文蔵」、茂山家が「くじ罪人」、両家揃い踏みが茂山千之丞と山本東次郎の「宗論」。「乱れて盛んなるより、固く守りて滅びよ」の山本家と「お豆腐狂言」の茂山家が、同じ舞台のそれも二派の出家のけなしあいの「宗論」。これは観なくてはならない!
で、観た。
狂言が古典芸能の中でも解り易いが、やはり古典芸能は型の中にある自由を如何に感じるか?だと思う。狂言とは何て自由な演劇なのだろう。歌舞伎等にも同じ事が言えるが。
狂言は更に舞台になにも無いが故にいかに型が大事で如何に自由な舞台なのだろう。型のなかに表現の自由の懐が深い事か。
舞台表現者はこの自由が解っていない場合が多い。プロセミアムアーチや緞帳がどんなに舞台を限定し舞台美術がどんなに舞台を限定し衣装がどんなに舞台を限定しているか?
最後の二人の対談も楽しめた。「宗論」を役を取り替えて再演して欲しい。
狂言を観に行くと何時も思うがパンフレットの書き込みが、初心者が知りたい事が載っていない。何が面白いのか?どんなネタなのか?オチはどの辺に注意していれば笑いが大きくなるか?その辺を編者は考えて欲しいな。
早めの夕食は着物でカレー専門店、上野のデリー。辛くて美味い。
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故あって、誘われて県大会を観に行った。と言っても、誘ってくれた人の母校の舞台だけですけど。
なかなか面白い。が、どうも高校生に不自由さを感じる。プロセミアムアーチの中で、とても不自由な演技・とても不自由な演出。どうも「演劇」と云う固定概念にとらわれ過ぎのように感じる。もっと自由に自分の感性を羽ばたかせて良いのではないだろうか?泣かなければならないシーンには頑張って泣いていると言う感じ。暗転にはとりあえず音楽を流しておけば良いという感じ。そんな感じが伝わってきて不自由だなと思う。高校生なんだからもっと自由な表現があって良いのではないか?と思う。
一番気になったのは大会運営そのもの。受付の生徒達は何も知らない。アンケートの事等質問しても答えが返ってこない。後ろに顧問らしい大人がいるが生徒達が答えに窮していてもなかなか助け舟を出さない。客席では記録係がデジタルカメラを構えてシヤッター音を響かせながら写真を撮る。子供達の晴れ舞台の客席で足を引っ張る。一般の客がゼロならまだしも…否、ああ云う事を、演劇部の子供達が当たり前と思って育ってしまうと、客席のお客さんを第一に考えると言う事をおざなりにする役者が増えてしまうのではないか?
芝居とは芝生に座ってお客さんが舞台を楽しむと言う事なのだ。舞台の上の人がお客さんをないがしろにして楽しむ事ではない。
以前こんな話を聞いた。ある高校演劇出身者が「お客さんに対する責任など考えない。そんな時間があったら台本を読むべきだ」と言ったと云う。そんな舞台人がいるのか?と思ったが今回の大会を覗いて、いるだろうなと合点した。
もっと先生達は舞台を大切にして上げて下さい。お客さんとのキャッチボールを教えて上げて下さい。
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国文祭のこどもたち能楽です。お客さんが少なくて残念です。
こどもたちが伝統芸能を頑張っている姿を観て欲しかったな。
川崎から来たこどもたちなんか下手な大人はかなわないくらいすごい迫力でしたよ。
画像は休憩中の能舞台です。
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「アイーダ」を観た。
途中抜け出した。
規模が大きいのでPAを使っている。PA(パワーアンプつまりマイクを使っていた)を使っているのならもっとやり様があってもよさそうなものだ。ソリストの何人かは大きな舞台でもそれなりに支えられた。人がいっぱい舞台に出ると整理がされていないのが見て取れる。勝利の凱旋の軍団の行列が敗残兵の様に元気が無かった…
オペラを観た事のない友達と一緒だった。場面があまり判らないと言っていた。特にラストシーンが何やっているか?判らないと。
字幕上演なのだが、字幕の電光掲示板が舞台の外側に大きく離れていて字幕を観ると舞台を観られず、舞台を観ると意味がわからず…
ま、あんなものか。PAの使い方を除いては音楽は健闘していたと思う。
ちなみに、予算規模を聞いて驚いた。
オペラとか芸能・舞台(能や歌舞伎なんか)とかの入門解説とか…
そう云うものを聴いたり見たりする事がある。
ある人は業界人、ある人はファン、ある人は制作者本人。
その人達が異口同音に言う事は
「○○こそ総てが含まれている」と胸を張る。
その上で
「○○は他にないものがある」とさらに胸を張り、あまつさえ他のジャンルを下に見ようとする。聞いていて嫌気がさす。「○○以外のジャンルでもちゃんと総て含まれていますよ」「他にあっても○○にはないです」と言ってあげたい。
心ある人は業界の人でもその辺判っているんですけどね。
特にオペラについては文化人と云う肩書きを持って人がどうも都市伝説流しているみたいなんですよね。その都市伝説ゆえにオペラの方が上級だみたいな言い方平気でする。で、騙されたイメージが作られていく…
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ちょっとネットサーフィンしました。
結構つか作品が初めてと云う方が多いみたいです。
基本は、あれが「つか作品」だということをわかって欲しいと思います。笑いの中に人の本質を掘り下げる、差別とか人を傷つけると言う事とか、一所懸命生きることとか、裏切る事とか、優しさとか、醜さとか。
下ネタも満載だし、ゲイネタも満載。そして意味なく歌って踊る。
で、最後に何かえぐるものが出てくる。えぐるものがとても辛いものなので、下ネタや笑いで和らげているのかもしれません。
今回の作品でつかさんはきっと今の日本の戦争容認の方向に危機感を持っているんです。だから憲法九条。だから戦後の話を入れているんだと思います。
つか作品初めてや、あまり舞台を見ておられないような方たちが、今回のつか作品に入り込めないのは良く判ります。普通のつか作品のテンションなら、その上に力技でグサッと重いものを心に叩きつけてくれるんです。さっきまであんな馬鹿な事やっていたのに、こんな馬鹿な台詞なのに、何で俺は泣いているんだろう?と云う瞬間があるんです。で、「あれ、訳わかんなかったはずなのに感動している」と云う気分にさせてくれる。で、もう一回観てみる?と思っているうちにつかファンになってしまう。
残念ながら今回の「幕末」はそれがなかったかな。
色々な制約がつかさんの周りに有ったのではないでしょうか?大人の判断みたいなものが…。そんな中で作られた今回の舞台の中で、つかさんからつかファンに対する「こんなシーンで楽しんで」と云う想いが、熱海殺人事件などからの名シーンの引用なのではないでしょうか?これは想像の翼の広げすぎでしょうか?
ともかく、今回の舞台一本でつか作品を評価しないで下さい。と、つかファンの私としては言いたい。
あまり大きな声では言えませんが、キャスト発表になった時に、不安だったんですよね。
でもそれも含めてつか作品だから。
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新橋演舞場
十二時の回
基本的に残念でした。舞台のキャラクターが立っていませんでした。全体にとっちらかっちゃっているみたいで、つかさんの舞台で初めてチラッと寝てしまいました。
主役の二人、終演まで後二頑張りぐらいして下さい。
つかファンには、過去の作品群からいくつかの引用有り。
若林ケンの生「上海!」絶品です。銀ちゃんをはじめつか舞台の常連組頑張って下さい。
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リンク: 歌舞伎美人 | 公文協東コース.
昨日歌舞伎を教え子達と観劇。茨城県民文化センター。
「しらざぁー言って聞かせやしょう」の名台詞。弁天小僧。
「操り三番叟」の吊り人形の踊りは見事でした。20分あっという間でした。
歌舞伎とはブロマイドの集まり。役者達のカッコいいポーズをお客さんに見せ付ける。それが歌舞伎なんだね。
会場の文化会館が行った初心者向けの歌舞伎解説があったが、初心者向けといいつつ「だれそれの何代目がどうの」なんて話ばっかりで演目の解説ほとんどなし。初心者にはわからない話が多くて残念でした。
それと盛んにイヤホンガイド(舞台を観ながらイヤホンから流れる解説を聞くもの)を薦めていた。以前歌舞伎を観た時(「番町皿屋敷」)に借りてみたが余計な解説やストーリーの先を話し始めたり、五月蝿かったので二幕以降はやめてしまった。普通に見ていても「弁天娘女男白波」なんかはわかりますもの。もっと観客を信頼すべきだな。どうも古典芸能やっている人達の初心者向けのサービスの考え方はピントがずれているように感じるこの頃です。
ちなみに一緒に言った大学生達は笑いながら観ていました。楽しめるものですよ。
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リンク: 帝国劇場 ミュージカル ミス・サイゴン.
昨日の「ミス・サイゴン」は始めて観ると言う友達二人と行きました。
二人ともその舞台転換の速さ凄さに吃驚しつつ、涙にくれていました。
何箇所も泣き所ありますから。
二幕に入り、俄然舞台からパワーを感じるようになる。客席からも曲終わりで拍手が出るようになる。やはり拍手と云う客席からのアピールがあると舞台の上の演者達に力を与える。
ラストシーンは少しやり過ぎと云うか?確かラストシーンはもっとスポッと終わっていたはず。以前の方が良かった。
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一幕終了
曲の滑り出しはかなり譜面が変えられていた。
エンジニアの筧利男夫がチラッと歌詞を間違えましたね。
酒場のシーンなどで小さいカットがありました。
キム役のソニンは頑張ってます!子供わ守るために幼なじみを殺してしまった後の泣きじゃくりシーン、泣けます。
トゥイ役の神田恭兵は歌に頼り過ぎかな。もっとセリフにすべきだな。
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日立の学生演劇。
演劇研究会と合唱団の合同主催。
歌を使った、ネコの物語。
「ほっとした」思っていたよりひどくはなかったから。私と一緒に客席にいたOG達も同じ思いだったようた。新人達もが゜んばっていた。
残念ながら音楽を作る指揮者と舞台全体をコントロールすべき演出家との間できちんとした作品イメージの共有が出来ていなかったように感じる。次回の課題かな。若いんだから。若いんだからもっとはじけても良いのに。
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毎年この時期に旧明野町・現筑西市で行われる薪能を楽しみにしている。住民が立ち上げ、無料で公民館の中庭、満開の桜をバックにひらかれる。
昨年は雨天で公民館のホールに場所が変わり残念でした。
そして、今年は十五回記念公演。天気も良く暖かく桜も満開!
だのに、今年はホールで行われている。薪能ではない。
夜は野外で日本舞踊に小舞は演じられるという。
現地に来て愕然とした。知り合いを誘っているので尚更だ。野外の桜の下での能楽を楽しみにしてきたので何処でもやられるホールでの能楽を明野に見に来ているのではない。実行委員会には考えはあるのだろうが残念でならない。来年以降もこの形態になるのなら…
野外で桜の下で舞台を作って十五年間住民がまとまり子供達が狂言を披くまでに伝統を繋げ地域文化になりつつあったろうに。残念でならない。
薪能と称して外では日本舞踊に小舞に祝言だけでは本末転倒、今までの積み重ねが泣きますよ。
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リンク: コラボ特設ページ.
今度の土曜日に私の関係している大学演劇研究会の学生達が狂言を演じます。
詳細はホームページへ
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今日の強風での交通機関の乱れに萬狂言の皆さんも捕まってしまい、上野からレンタカーに乗り換えていらっしゃったようです。ご苦労様です。
今日の萬狂言水戸公演は水戸芸術館ACM劇場で行われました。ACM劇場はシェークスピア時代の劇場を模した円形劇場で客席も舞台を囲むように二階席三階席と立ち上がっています。そこに狂言舞台を作る。一の松から三の松まで同じ大きさだったのはご愛嬌でしょうか?それても…。
公演時間前に野村万蔵の30分ほどのトークショー。
本公演は野村万禄の解説で始まる。
この狂言の説明でいつも思うのは、「舞台をくるっと一回りすると舞台が変わっています」と云うもの。これを狂言の特徴の一つとして、更に判って貰いたいお約束として解説する。
これって説明しなくてはいけないのだろうか?狂言ってとても判り易い舞台だし、台詞しゃべりながら動いているし、この基本的な事は現代のコントだってよくやられる事だし、お客さん判ると思うし、判るように演じなくてはいけないことだと思う。狂言やる方はとても特殊なものと思い込んでいるんでしょうか?あんなに丁寧に説明するような特殊なことではないと思います。又、万禄は解説をしながら体がずっと揺れていた。落ち着きがないのが気になってしまった。
そして狂言「靱猿(うつぼざる)」です。萬、万蔵、眞之介の親子三代の競演に扇丞。つい先日の日立狂言教室で万蔵、扇丞は舞台を見ているが、今日の演技は月とすっぽん。日立で手を抜いたとは云わないが、本日の演技は別人の様に思えた。やはり人間国宝の萬の存在が大きいのかもしれない。以前、人間国宝の茂山千作が後見(黒子みたいなもの、舞台の登場人物ではないが道具を出したり引っ込めたり介添えしたりする)をした舞台を観た。千作が舞台の奥で座っているだけで、舞台全体がしまった。そんな事かもしれない。兎も角客席を巻き込み、名演技でした。
狂言「因幡堂」は万禄、吉住講。こちらも客席は笑いに包まれた。前半の舞台の出来のよさに刺激されたのかもしれない。
亡くなった野村万之丞さんは「お客さんに媚びてはいけない。お客さんは演者を甘やかしてはいけない」とおっしゃっていた。開設もその辺をちゃんと意識しないといけないのではないだろうか?
高校生向けに行われた日立狂言教室ではやはり解説は万蔵がすべきだった様な気がする。興味がない、初めての学生達の方にこそ本物をぶつけるべきで、申し訳ないが扇丞・万禄レベルでなく万蔵が出てくるべきだと思う。故野村万之丞(先代万蔵)は別格に話が上手かった。次々と興味をそそる話を繋ぎお客さんに狂言の世界観を伝えていた。万之丞と比べては申し訳ないし、あの人は稀有な存在だったが、その後をついで狂言の普及に力を注いで貰いたいからこその苦言です。
今日の舞台は狂言教室ではないのだから、通り一遍の解説などせず、小さいもので良いから後一本狂言を見せて欲しかった。二作品はとても良い出来でした。
また、日立狂言教室は日立シビックセンターの音楽ホールで行われたが、声の届き方などACM劇場には及ばない。ACM劇場が芝居に特化した舞台であるという事が、この一点でも伺える。
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日立の狂言教室に行きました。
野村万蔵を筆頭に、客席を占めた高校生相手に行われた狂言教室です。
番組は「盆山」と「蝸牛」
レクチャーした野村扇丞。
語りすぎと云う感があった。
もう少し子供達に想像させても良いのでは?あらすじもほとんんどしゃべってしまうし。
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交流センターでの使用者団体発表会の中にアマチュア劇団が初参加していました。
そっきょう劇だそうです。
そっきょうでその場で何かやっていくのか?と思いましたらしっかり台本もあってしっかり演出してあった様です。
ならば、「そっきょう劇」と云う名の劇なのか?と思うとそうではありませんでした。
「コント」と言ってくれれば判り易かったのですが。
不思議なものを観ました。
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続けること、繰り返す事の大切さを感じた。
落ち着き、安心感、すべて一年前とは雲泥の差。
こうして、狂言は四百年生き続けて来たんだろうな。
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http://ibakirienken.web.fc2.com/frame.html
茨城県の大学のサークルが地元の交流センターの利用者団体発表会で狂言を披露します。詳しくはホームページで。
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私の関係している団体が茨城で狂言「盆山(ぼんさん)」を披露します。
詳しくはhttp://ibakirienken.web.fc2.com/frame.htmlをご覧下さい。
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一緒に観に行った仲間に舞台照明を勉強している人間がいました。
終わった後に話しを聞いたらやはり
「ドラムの後ろに照明があってドラマーの影を客席の天井に映していた」
とか色々面白い話が飛び出ました。
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肉眼夢記 実相寺昭雄・異界への招待http://
NHK・BSで放映された。
実相寺は「ウルトラセブン」や「屋根裏の散歩者」からAVにオペラの演出まで手掛けた天才です。なんたって国立劇場で公演されたモーツァルトのオペラ「魔笛」でウルトラ怪獣達を舞台で踊らせちゃったりしたのに誰にも文句を言わせなかったのですから。
彼のエロス感は「見せない」「離れる」「影を落す」 。
舞台の照明の中には、「影を出さない」事を正しいとしている方がいるように思います。影こそが大事だと思いますが。能狂言http://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/noh/jp/の舞台では特に影が大切だと思います。特に能の面は影がとても大切なはずなのに能楽堂の照明は客席の何処から見てもきれいに見えるような照明にしています。あれは間違いですよ。面の影が表情になるのですから。ちゃんと影が出来る能舞台で能狂言を観たいな。
話は戻して、NHKなのに緊縛シーンも出てきました。縛りが甘かったのは仕方ないとして襦袢姿で赤い紐で桜の木に吊られ、それに繋がる鎖を京極夏彦が引くなんておつではありませんか?
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